一貫の鮨に日本文化を握る『松乃鮨』4代目・手塚良則さんインタビュー前編

日本の食文化の一つ「鮨」。
その起源は奈良時代にあると言われ、握り鮨のスタイルの始まりは江戸時代とされています。
現在では海外でも「SUSHI」で通用するようになり、世界的にも認められる日本の食文化となりました。
ネタとシャリという究極のシンプルな料理に世界中が注目するのはなぜか。
一貫の鮨の裏にはどんなストーリーがあるのか。
今回訪れたのは、品川区大森海岸駅にほど近い老舗の鮨屋『松乃鮨』です。
現在カウンターには3代目である手塚良明さんと、4代目である良則さん親子が立っています。
老舗ならでは、お客さんの中にも親子代々通う方も多いのですが、こちらの鮨屋が目を向けるのは国内のみならず世界です!
伝統と格式を守りながら新しい試みを行う4代目の手塚良則さんにうかがったお話を前後編にわたってご紹介します。
前編では『松乃鮨』の歴史と、鮨職人として異色の経歴を持つ4代目のこれまでについてお話をうかがいました。

1910年創業、大森海岸で4代続く鮨屋の暖簾をくぐる

――まずは『松乃鮨』の歴史について教えてください。

手塚良則さん(以下敬称略) 『松乃鮨』は曽祖父が1910年に創業し、現在は大将である3代目の父と4代目である僕が後を継いでいます。

当初は屋台のお鮨屋さんで、場所は東京の芝神明という現在の浜松町あたりでスタートしました。
祖父が幼い頃にはもう屋台は閉めていて、祖父自身は神楽坂まで修行に行き、縁あって現在お店がある大森海岸で開業しました。
当時この場所は埋め立て事業が行われる前で海岸線がほど近く、目の前の海は海苔の養殖が盛んな海苔の名産地であり、赤貝や小肌、穴子が獲れる、まさに江戸前鮨の本場だったそうです。
また神楽坂と同じように料亭が連なり、芸者さんも400名ほどいた場所でもあり、祖父は神楽坂で学んだ鮨を周辺の料亭に配ることで成功を収めたと聞いています。
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当時の店舗は宮造りの2階建てで1階には大きなカウンター、2階には個室5部屋や小さなカウンターがありました。
しかし今から30年前に火事で全焼。
焼け残ったのは今も店先にある大きな看板と、立て看板だけでした。
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▲立て看板は海苔の船をばらしてつくったものだそう


新しい店は隣にあった祖父母の実家を改装してつくり、それが現在の店舗となっています。
元々は昔ながらの民家だったので、現在のカウンターにも家を支えるために土台から2階までをつなぐ通し柱が残っています。

スキーガイドから鮨職人へ! 世界を飛びまわった4代目の想い

――100年以上の歴史を持つ老舗の4代目として、手塚さんはどのような活動をされているのでしょう?

手塚 僕は海外で生活した経験したおかげ英語も多少なりとも喋ることができます。
元々、鮨屋になることを自分のビジョンとして持ちながら世界をまわりました。
お客様を日本だけではなく世界中からお迎えしようという考えがあったからです。
今でも世界中からのお客様をお迎えしております。
海外を回っていた時はプロのスキーガイドとして、旅行会社で働いていました。
また、イベントやお客様のご自宅への出張握り、大学や企業でのお鮨の講演、子供たちに向けた食育活動、G20など海外要人向けにも鮨を握らせていただいています。

――旅行会社から鮨職人?!
家業を継がれるまでの経緯が気になります。
海外を視野に入れるようになったきっかけは?

手塚 そういうことを考えたのは学生時代で、日本のマーケットだけだと1億2000万人なのに対し、世界に目を向ければ60億人になるからいいんじゃないかという超単純な発想で(笑)。
またもう一つ考えたのが、海外に行っていた際に、現地の人に「日本のどこどこに行ったよ」と言われたり、片言でも日本語であいさつされると嬉しかったので、うちの店ではその逆をやろうと!
また海外の文化を知ってから、鮨を通じて日本文化を伝えたいなと考えていました。
つまり、日本に来た外国の方にその国の言葉や文化を理解した上で日本文化をお伝えしようということです。
それがきっかけで大学卒業後4年間、世界を回る手段として、大好きだったスキーの専門の旅行会社に入り、世界のスキーリゾートをまわりました。
働くのは北半球と南半球それぞれの夏と冬。少し時間の空く、春と秋はバックパッカーとして世界中をまわったり、富裕層向けにクルージングやワイナリーのガイドをしました。

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――鮨職人の方にはなかなかない経験を積まれて来たんですね!

手塚 僕が入社した旅行会社はとても小さいところだったので、視察、販売先の決定、バスや飛行機などの手配、宿泊施設の手配にアテンド、お客様への最終案内、セールスまですべて自社でやっていました。
また、海外のスキー場は悪天候によりクローズしてしまうことも多いのですが、その場合は近くにあるワイナリーや牧場にお連れしようとかオプショナルツアーも自分で考えておかなければなりません。
そのおかげで自分でツアーを作れるようになりましたし、旅行業界の仕組みを知ることができました。
さらにヘリスキーや、世界一周のクルーズなど、海外の富裕層を対象にしたツアーもあったので、そういう方々の感覚も学べたことも大変貴重な経験です。
海外で生活することでその国の食文化やバケーション文化にも触れることができ、食文化については、海外でアルコールというとやはりワインがメインになるので、ワインの説明もできるように、帰国後にソムリエの資格も取らせていただきました。

こうした海外での4年間と現在の活動において、考え方のベースにあるのは、僕が学生時代に出会った、『異文化コミュニケーション』という学問です。
人と人とのコミュニケーションはたとえ同じ民族、家族であっても異文化コミュニケーションであり、お互いに理解して寄り添うものであるということを学びました。
この考え方はスキーガイド時代も、今鮨職人として働く中でも大変参考になっております。

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――今までの経験のすべてが家業に活かされていますね。

手塚 家業を持つ家に生まれた方は将来自分が家業を継ぐイメージを幼い頃から持たれている方も多いと思うんですね。
僕も小学校の作文には将来の夢として「お鮨屋さんになる」と書いていました。
だからどこかお店や旅館で良いものに触れたり、素晴らしいおもてなしを受けると、これをうちの店ではどうやってできるかなと自然と考えちゃうんですよ。

――そういう方にとってキャリアは修行から始まったわけじゃなくて、そのもっと前から積み上げているわけですね。

手塚 そうですね、それが強みでもあります。
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漁船に乗り農家を訪れて見えてきた一貫の鮨の物語

――旅行会社では海外で現地のガイドを務められ、帰国されて今度は国内でどのように海外の方をおもてなししようと考えましたか?

手塚 根底にある考え方は、日本に来てくれた友人を僕なりのおもてなしで迎えるということ。
こういうことを始めたのは学生時代です。
当時海外から遊びに来た友人に、どんな風に日本のことを僕なりに伝えられるかを考えたんです。
そこで朝一緒に市場に行って魚の説明をし、それを店に持って帰って父に鮨を握ってもらいました。
口コミで広まって、何人もの海外の方をご案内しました。

――それは喜びますね!

手塚 旅行会社勤務を経て家業を継ぐために修業に入ったのですが、僕は元々好奇心が強いので、たとえば仕入れた魚がどこでどのようにして獲られたのか、なぜその産地が良いのか、同じ場所で獲れたとしても漁師さんによって違いがあるのかなど追究したくなったんです。
でもそれを当時うちにいた板前さんに聞いても、市場の人に聞いても分からない。
そこで自分で直接漁師さんにメールを送って漁船に乗せてほしいと頼んだんです。
その他にも米農家さんやワサビ農家さんも訪れました。

――その探究心と行動力は素晴らしい……。

手塚 僕の立場はB to Cです。
鮨としてお客様に出すのは最終段階で、そのずっと前に魚が海から揚がった時点から様々なプロの方が携わっています。
魚ひとつとっても、獲るプロである漁師さんや流通のプロである運送屋さん、そして目利きのプロである仲卸さんを経てようやく僕の手元に届きます。
そういう方々の選び方やこだわり、想いといったバトンを引き継ぐのが、魚の食べ頃の見極めや切って握る・調理をするプロである鮨屋です。
僕はそのバトンをきちんとお客様に伝える役目を負っているので、そのためにはすべてを知っておかないといけないんです。
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「鮨カウンターは日本文化の集約地」

――こういうお話をうかがっていると、一貫の鮨の重みが変わってきますね。

手塚 これは食材に限った話ではありません。
たとえばうちで使っているまな板は「尾州檜」といって樹齢300年を越える木曽檜を使ったものですし、包丁も「玉鋼」という金属を使い日本刀と同じ製法で仕上げたものですし、鮨を握る時の手水を入れている器も辻村史朗氏による茶器です。
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こちらは2019年6月G20大阪サミットで配偶者の方々に向けて鮨昼食会をプロデュースした際に使った食器です。
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これは人間国宝の漆芸家の室瀬和美氏の作品です。
蒔絵には松の中に「すし」と書いてあり、これで『松乃鮨』を表しています。
鮨はこういう伝統工芸品や昔ながらの物を使って提供していることから、僕は「鮨カウンターは日本文化の集約地」であると考えています。
このように食材から器まですべてに意味があるものでお客様をお迎えをすることが僕の仕事です。
だから海外の方に鮨をお出しする時も、ただ鮨を提供するのではなくて日本のおもてなしといった日本文化であり、それを鮨を通じてお伝えしています。

でもこういうことをすべて伝える必要はないし、飲食店なのでお客様に「おいしかった!」と言って喜んでいただくことが一番の目的です。
ただ提供する側がこういうことを理解していないと、漁師さんや仲買人さん、そして道具を使ってくださっている作家さんに失礼かなと思っています。
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「おいしい!」の一言までに関わるプロの方々のお話は鮨に限らず、食文化すべてに通じる話でした。
次回は手塚さんのこれからの取り組みについてご紹介します。
どうぞお楽しみに!

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株式会社ヒュー
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