料理の縁の下の力持ち「みりん」のお話【日本の食の生産者訪問記】白扇酒造・前編

日本の食の生産者を訪ねる旅。
第1回目では、京都・宮津にある飯尾醸造を訪れました(前回の記事はこちら)。
シリーズ第2回目となる今回は岐阜県加茂郡川辺町にある白扇酒造です。
こちらではみりん、日本酒、焼酎を中心につくっています。
今回取材したのは、みりん。
和食には欠かせない調味料であり、その優しく上品な甘味は食材の旨みを引き立て、さらに料理に照りや艶を与え、煮くずれを防ぐ効果もあります。
あの甘味はどこから来るのか?
みりんにはどんな歴史があるのか?
白扇酒造5代目・加藤祐基さんのお話を前後編にわたってご紹介します。
前編では、みりんと白扇酒造の歴史についてうかがいました。
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隠し味は実はみりん?!

――みりんについてじっくりお話をうかがうのは初めてです。
古くから日本の調味料として欠かせないみりんの歴史が気になります!

加藤祐基さん(以下敬称略) みりんの主な原料は、米麹、もち米、焼酎です。
それらを混ぜ合わせ、糖化・熟成させたもろみを搾って出てくる液体がみりんです。

歴史をたどると、みりんは江戸時代までは元々上流階級の飲み物だったと言われています。
昔は砂糖もなかなか手に入らないため甘いものは高級品で、みりんも高級酒でした。
ある時たまたま料理人が料理にみりんを使ったところ、ぐっとおいしくなったそう!
そこから食文化に広がって、蕎麦つゆに使ったり、出汁とあわせて煮物を作ったりしたんです。
こうやって調味料として使うのは当時は料理屋さんが中心で、実は隠し味と言われるものはみりんだったという説もあるんです。
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――そうなんですね!

ということは、江戸時代ではまだまだ一般家庭には浸透していなかった?

加藤 そうです、一般家庭ではまだまだ贅沢品なので焼酎で割って飲んでいたとか。
それを関東では「本直し」、関西では「柳陰」と呼ばれ、夏場に井戸で冷やしたものを暑気払いとして飲んでいたそうです。

――名前の由来は?

加藤 まず「本直し」について。
日本酒は今でこそおいしくつくれる技術も確立されていてなかなかまずいものもありませんが、昔は酢酸菌が入り込んでしまって酸っぱくなってしまうなど失敗も多かったとか。
そこで救世主として登場するのが、みりんです。
甘味は酸味を和らげます。
だから味を立て直すと、関東では「本直し」と呼ばれました。

――今は当たり前にあるものも、先人たちの試行錯誤の末につくられたものなんですね。

加藤 続いて「柳陰」について。
お酒の銘柄というものが出てきたのは14、15世紀とされていて、その始まりが「柳の酒屋」「梅の酒屋」だったそう。
その柳の酒屋の裏でつくっていたみりんということで、「柳陰」と呼ばれるようになったという説があります。

――一般家庭でみりんが調味料として使われるようになったのはいつ頃からなのでしょう?

加藤 一部の一般家庭では明治時代から使われるようになりましたが、普及したのは戦後ですね。
みりんはもち米、米麹、米焼酎とお米をいっぱい使うので、贅沢品として戦後食糧難の時代には製造を禁止されたこともありました。
また、当時のみりんは酒税が高く、商品の約7割5分を税金で持って行かれてしまったんです。
さらに在庫を持っていると資産勘定されてしまうし、昔はつくってないと製造免許を取り上げられてしまう。
結局多くの蔵でみりんをつくることをやめてしまい、業界全体がどんどん衰退してしまいました。
元々は全国で3000近くあったみりんの蔵も、現在では約90にまで減少しています。
そこで出来たのが「みりん風調味料」や「発酵調味料」です。
みりんに塩など調味料を加えることで飲用できないようにして、酒税もかからないようにしています。
それらと区別するために本来のみりんを「本みりん」と呼ぶようになりました。

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みりんと日本酒の切っても切り離せない関係

――白扇酒造ではどういうみりんをつくっているのですか?

加藤 「本みりん」と呼ばれるものをつくっている蔵の中で伝統的なつくり方をしているのは全体の1~2%と言われていますが、うちはまさにそのニッチなところにいます。

白扇酒造は江戸時代後期にみりん屋としてスタートし、明治時代に酒類製造免許を取得して清酒もつくり始めました。
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なぜみりん屋からスタートしているかと言うと、うちの裏には飛騨川があり、昔は材木の集積場でした。
だから大工さんも多く、隣町には鍛冶屋も多いこともあって体力仕事が中心だったんです。
そこで甘味のあるみりんは体力を回復させる、今で言うエネルギー飲料なので、このあたりにはみりん屋が増えていたそう。
力をつけるという意味で鰻屋も多いんですよ。

また、みりんは元々酒蔵がないとできない商売だったんです。
昔は酒蔵の酒粕の中に残っているアルコールを蒸留してつくる粕取り焼酎を原料としていました。
これは三河の方にみりん屋が多い理由の一つでもあります。
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江戸時代に灘でつくられた生酛づくりの酒が江戸で爆発的に売れ、それを運ぶ「樽廻船」と呼ばれる船で江戸まで運んでいたそう。
あまりに人気だったため足りない分を他の地域で補うようになり、その一つが現在の愛知県半田市で、大きな酒屋ができることでその周辺に酒粕を利用するみりん屋やお酢屋、漬物屋が増えていきました。
だから酒屋に足を向けて寝られない商売と言われているんです。
千葉県流山市にもみりん屋さんがあるのは同じような理由だそうです。

本物を求める人がたどり着く逸品

――長い歴史を経て、代々地元の方にも親しまれているんでしょうね。

加藤 実はうちは地元の方には酒蔵、全国的にはみりん屋としてのイメージが強いんです。さらにうちのみりんが皆さんに知られたのは、実はここ20年です。
バブルが崩壊する前ぐらいに、「食の見直し」という動きがあって、食材も調味料も身体に良いものを使うことが推奨されるようになりました。
また、砂糖や添加物を使わずに昔ながらの製法を継承しているうちのみりんを、料理番組や新聞などで料理人さん達が紹介してくれることで段々と一般の方にも広まっていきました。
うちにも名立たる料亭の料理人さんや料理家さんがみりんの勉強しにいらっしゃいましたよ。
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――料理に携わる人もみりんのことを学ぶ機会がなかなかなかったんですね。

加藤 ここ数年はSNSによって、退職されて時間に余裕ができたご夫婦が身体に良いものを食べたいとか、お子さんのために安心・安全な料理をつくりたいという方にも注目されるようになりました。
日本人はブランド好きなので、○○産の肉や魚ということばかりに目が行きがちでしたが、最近は調味料の方にも注目されるようになり、お客さんの知識もどんどん豊富になっているんです。
だから偽物や小手先の物では見抜かれてしまう。
真面目にものづくりを続けてきた僕たちがやっと認められる時代になってきたのかなと思います。

5代目にできること

――安くて便利なものがもてはやされる一方で、本物とか手間をかける、丁寧な暮らしというところに感度の高い方も増えていますよね。
加藤さんは代々続くみりん屋に生まれて、やはり幼い頃から家業を継ぐことを考えていたのですか?

加藤 僕は元々この業界に全く興味がなくて、お酒も一滴も飲めなかったんです。
若い時はけっこうやんちゃだったんですけど、自分の将来を考えたときに東京の大学に行くことを決め、それなら家業であった醸造を学べる東京農業大学に行くことにしました。
卒業後は栃木の焼酎を主にメーカーに修行で2年半、途中で建築関係の仕事に就いたこともありましたが、訳あって実家に戻ってくることになりました。
それが27、28歳の時ですね。
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――長年蔵で働かれている方もたくさんいる現場に入っていくことは大変だったかと思います。

加藤 そうですね。
昔、蔵は杜氏任せで、社長は外交担当という形が多かったんですが、僕は現場にどんどん入って行ったので、現場の人間と何度も衝突しました。
そこから約6年、今ようやくみんなで良いものをつくっていこうという気持ちがまとまり、また新たなステップを踏み出しました。
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加藤さんは、先代たちが苦難の時代を越え脈々と受け継いできた伝統を継承しながらも、常に時代の流れを見て、5代目として自分にしかできないアプローチを模索しています。
後編では蔵の見学の様子と、これからのお話をご紹介します。
次回もお楽しみに!

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