「しなやかに、食べよう。」というフィロソフィーを掲げて。センブラール・佐野嘉彦さんインタビュー・後編

「しなやかに、食べよう。」というフィロソフィーを掲げて。センブラール・佐野嘉彦さんインタビュー・後編

スペイン語で「種を蒔く」という意味の“sembrar”(センブラール)を屋号に、
食の分野での企画、編集、執筆、そして時々撮影、スタイリング、さらにはセミナー講師やイベント司会まで。
前回の記事では、マルチプレイヤーとして活躍される佐野嘉彦さんのお話を伺いました。

今回は佐野さんが“食”の分野に身を置こうと決めたきっかけや、そのルーツについてお話をお聞きします。

子どもの頃の食卓から、スペイン語を学んだ大学時代、サラリーマン時代、そして留学と、
まるで小説のような展開に驚きながらも、すべてが「しなやかに、食べよう。」という言葉に結びついていく佐野さんのストーリー。
始まりは、佐野少年がはまった“チーズバタール”というパンのお話から。


立ち昇る湯気に小麦粉とチーズの香り

佐野嘉彦さん(以下敬称略)「第二次ベビーブームのど真ん中世代なんです。家はあまり裕福ではなかったけれど、食べることにはお金をかけてくれていました。料理が得意だった祖母は、いつもテレビの料理番組を見ていて、覚えたてのレシピでいろんな料理を作ってくれたんです。例えばミラノカツレツとか、スコッチエッグとか。僕は当時から食べるのが好きで、祖母や母の作るご飯が楽しみでした」

当時はパスタと言えば“ミートソースorナポリタン”という時代。
「祖母の作ったミラノカツレツ」が食卓にあがるというのは相当珍しいことだったと想像します。
佐野少年が食べ物に興味を持ち始めた原風景がここにあるのかも知れません。

sschildhood_sano.jpg

 ▲スイカをほおばる佐野少年(写真右)。弟さんと一緒に。

佐野「チーズはいつから好きになったんですか?とよく聞かれるんですが、改めて考えてみると、横浜・元町の『ポンパドール』というパン屋さんの「チーズバタール」がきっかけだったかなと思います。今ではあまりめずらしくない、角切りチーズが入っているフランスパンなんですが、焼きたてをパッと割るとふわ~っと湯気が立ち昇って・・・当時10歳くらいだった私は、湯気と、一緒に広がる小麦粉とチーズの香りにすっかり魅了されてしまった。それが私にとって“チーズとパンの目覚め”だったような気がします」


中学生になってからはお小遣いを握りしめ、横浜から電車に乗って渋谷へ行き、
表参道にあった『ドンク』や『アンデルセン』といった人気のパン屋さん巡りをしていたといいます。

佐野「今みたいに本格的なブーランジェリーがあまりなかった時代でしたから、わざわざ青山エリアのパン屋さんを巡ってお小遣いでパンを買い、帰りに渋谷の東急ハンズに立ち寄って特に何か買うわけでもないのに、ペンを試し書きしたり、いろいろなグッズを見てまわったりして帰る、というのが週末の楽しみでした。変な中学生でしょ?まぁ、今とそんなに変わってないですね(笑)」


当時はまだ「食」を仕事にしていこうという気持ちはなく、「ただ食べるのが好き」な学生だったそうです。
高校時代は「英語以外にも語学を勉強しておけば将来役立つだろう」と考え、東京外国語大学へ進学。
当時はバルセロナオリンピックが開催されるとあってスペインに世の関心が集まっていた時期でもあり、スペイン語を専攻します。

佐野「入ってみたら外語大は女子学生ばかりで、スペイン語学科は1学年65人中10人しか男子学生がいないという状況。まるで女子大に飛び込んでしまったような感覚でした。当時はうらやましがられましたが、“女子だらけの環境での男子”は実は大変(笑)でもそんな学生時代を送ったせいか、場に溶け込む術というか、変に気を遣われない術というか、とにかく女性が多い環境でも違和感を持たれないようになったことは、今の業界で仕事する上で役立っているのかも知れません」

sssspain_sano.jpg

 ▲本格的に語学のスキルをあげるため、スペインに留学。

憧れたサラリーマン生活から、まさかのNY

佐野「父は演劇の活動をしながら童話を書いたり、英語の非常勤講師や国語の塾講師をしたりと、当時にしては珍しく定時に職場に行く働き方ではありませんでした。家で仕事をしていたかと思えばしばらく帰らなかったりと、どんなタイムスケジュールで動いているのか子どもの視線からではわからなかった。「友達のお父さんと何か違う」というのが嫌で、“バリバリ働くサラリーマン”に憧れがありました」

大学卒業後は、一旦就職するも、スペイン語のスキルを上げるためにスペインに留学。その後は語学スキルを活かせる仕事がしたい、と
スペインの陶磁器ブランド『リヤドロ』のMDマーケティング部に籍を置きます。当時リヤドロはNYにマーケティングの本部があったため、
NYオフィスとスペインの本社とのやりとりをする多忙な日々を過ごしたそうです。それはまさに子どもの頃に憧れた“サラリーマン”そのもの。
忙しいけれど気持ちは充実していました。
sslladro_sano.jpg
マーケティング業務の中で顧客向けの会報誌制作に携わった時、ふと「編集の仕事は自分に向いているかも知れない」と感じたという佐野さん。唐突で、大した根拠も経験もなかったけれど“言葉で伝える仕事”は語学とマーケティングを学んできた自分になんとなく向いていると思ったそうです。編集者という仕事に興味を抱きながらも、当時もう一つ佐野さんは身を焦がすような思いで取り組んでいるものがありました。

「今考えると恐ろしいんですけど」と前置きしながら、
「ダンスに集中したくてサラリーマン辞めたんです」と佐野さん。え?ダンス? 
今までのお話には全く出てこなかった突然のワードに驚きます。実はこの時、佐野さんはストリートダンスにすっかりはまっていたのでした。
レッスンを重ね、週末には発表会やクラブイベントに出るなどダンス熱は高まるばかり。いよいよ趣味の範囲を超えて、本格的に学ぼうと、なんとニューヨークへ“プチ留学”することを決意します。
ssdance_sano.jpg

佐野「たった1ヶ月ではありますが、ニューヨークに住んでいた友人が部屋を貸してくれると言うので、これは行かねば!と(笑) スクールに朝から晩まで通い詰め、“ブロードウェイを目指しています!”みたいな人たちと同じレッスンを受ける日々でした。その時は“NO DANCE, NO LIFE”とまで思っていて、踊れないなら死んでしまったほうがマシ、という気持ちの高ぶりようでした」

sdance_iyo-p.jpg

 ▲イベントの司会などもこなす佐野さん。きっとダンスで舞台にたっていた経験が役立っているのかも知れません。

ダンスに注いだすべての熱量を“編集”に

帰国後もいろいろなジャンルのダンスに取り組み、
時にはレッスンの代行講師や、バックダンサーのアルバイトも経験しながら、ダンス中心の日々が続いたそうです。

でも、サラリーマンを辞めた時から、佐野さんは一つだけ決めていたルールがありました。それは、35歳になったらダンス中心の生活を辞めること。三十路手前で始めたダンスは大好きだけど、続けてもトップダンサーになって食べていけるほど甘い世界ではない。体力的なことや、その後の自分の人生を考えていたそうです。

ダンスに夢中になりながらも、佐野さんの頭の中にあったのは「向いているかもしれない」と感じた編集の仕事。でも“編集者”という仕事は20代で経験を積み、30代には一人前の編集者になっているものだということを、佐野さんは知っていました。30歳で「一から編集を勉強したいです」では通用しない。小さくても自分の実績をできるだけ増やして、35歳になったときに「私はこれを手がけました」というものを持って本格的な編集の世界に飛び込まねば。

そのために、昼間はアルバイトや契約社員として、校正作業や販促企画の案出しなど、編集のキャリアにつながるものならどんな仕事でも取り組んだそうです。自分が“やりたい”と思ったことから逃げない、それを自分の気が済むまでやり通すという佐野さんのスタイルにとても熱い気持ちを感じます。その後『ZAGAT』の日本版で編集マネージャーとして活躍。そして大好きなチーズやワインについてきちんと学びたい、という気持ちでチーズプロフェッショナルやワインエキスパートの資格を取得していきました。

佐野「子どもの頃はスーパーで売っているアルミ包装のチーズが苦手であんまり食べられなかったんですが、チーズパンはもちろん、ピザやグラタンにのっているチーズは昔から好きだったし、スペインに留学していた時に食べていたチーズも大好きだった。なんでだろう?と疑問に思っていたんです。でも改めてチーズについて学ぶと、すべてがふわ~っと霧が晴れたような気持ちになった。プロセスチーズとナチュラルチーズの違い、それがひとつのきっかけだったかな。エデュケーションの大切さを知り自分でも伝えたいと思うようになりました」
認定書その他02.jpg

 ▲世界各国のチーズ職人のほか、チーズ文化の普及促進に貢献した人に与えられる名誉ある称号『ギルド』。佐野さんもチーズの魅力を伝えるジャーナリストとして叙任されています。


「しなやかに、食べよう。」というフィロソフィー


子どもの頃から大好きだった「食」のフィールドでお仕事することになった佐野さん。
好きなものに挑戦する軸足は一歩もぶれずに、素直にその時やりたいと思うことを突き詰める。
柔軟性を持ちつつ、自分自身の軸はぶらさない。
これこそが佐野さんのテーマである「しなやかに、食べよう。」というコンセプトのベースであると感じました。

佐野「“しなやかに”は、依頼された案件ごとにその方向へ“しなる”けど、自分の軸に常に戻れることを意味しています。
“食べよう”というのは自分の意思表現であり、一緒に食べることを誘う言葉でもある。自分だけじゃなくて、周りの人と食のことをシェアしたい気持ちを表しています。今は編集や執筆だけじゃなくて、案件に合わせて自分ができることをお引き受けしています。根底には、自分は一つのことにおけるスペシャリストではないという思いというか、コンプレックスもあるんです。でも、いろんなことに挑戦してきたので、マルチ対応できるのが逆に自分の強みかな、と。だからこそ、 “しなやかに、食べよう。”というフィロソフィーを大切に持っていたい。食のフィールドで生きていくための、自分なりの覚悟や決意です。」


その時代や、自分の嗅覚を信じて「更新」し続ける佐野さんの姿に刺激をもらいました。
何か一つのものを極める職業観ももちろん大切ですが、
多様な働き方が求められるこれからの時代こそ、
好きなことを仕事に変えていく柔軟性が必要だと感じます。

ダンスのステップを刻むように軽やかに、そしてしなやかに人生を歩んでいく佐野さんの道のりにこれからも注目です。

佐野さん10.jpg

 ▲自分が好きだと感じたものをとことん突き詰める佐野さんに、
どうやって夢中になれるもの探しているんですか?と聞いてみると
「動いていたら、何かしらに絶対出会う。「Where there's a will, there's a way(意志のあるところに道がある)ですかね」。

著者プロフィール

著者アイコン
株式会社ヒュー
株式会社ヒューは「食」を中心とした広告や商品パッケージの撮影から、レシピの開発・提案・クッキングの手配や出版物・WEB・デザイン・SNSを使ったコミュニケーションツールなど多彩にご提案が出来る「食の総合プロデュース会社」です。
お問い合わせ

関連記事